01﹃異世界の⾷堂﹄
最初に異変を感じたのは嗅覚(きゆうかく)だた︒
うつ伏(ぶ)せで倒(たお)れているせいで︑顔⾯が地⾯にべたりとく ついている︒⿐の中に流れ込んでくる空気はどこか泥臭(どろくさ)く︑埃(ほこり)ぽい︒それから少し︑動物の匂(にお)いも混ざている︒
﹁ん…………どうなてんだ ︖ 死に損(そこ)なたか……︖﹂
腹部に⼿をやるも︑傷がない︒痛みもない︒⾐服も全く破れてない︒グ と⼒を込めて体を起こす︒
オトセイのような格好で視線を上げた先には……
﹁なんじこり !?﹂
まるで映画の世界に放り込まれたのかと錯覚(さつかく)してしまうような︑なんとも⻄洋⾵な景⾊が広が
ていた︒
⽯畳(いしだたみ)の道︒レンガの家︒⼗⼆⾞線ほどもあろうかという広い道路には無数の⾺⾞が⾏き交(か) て
おり︑遠くには⾼くそびえる尖塔(せんとう)が⾒える︒
なんだアレ︒王様でも住んでて︑会いに⾏けば銅の剣(つるぎ)でもくれたりする場所か︖振(ふ)り返ると︑背後にはとんでもなく⾼い壁(かべ)がそびえ⽴ていた︒20メトル……じ︑⾜りないか︒ざ と30メトルはあるであろう巨⼤(きよだい)な壁が︑左右にずと延びている︒
壁の途中(とちゆう)にはこれまた物々しいまでの重厚(じゆうこう)な⾨があ た︒筋⾁⾃慢(じまん)が束になてようやく動かすことが出来そうな巨⼤な⾨だ︒
どうやら俺は︑そんな巨⼤な⾨の前に倒れていたらしい︒
雰囲(ふんい)気(き)から察するに︑ここは巨⼤な街の中で︑この街に⼊てきた者が最初に⽬にする広場なのだろう︒
広場の隅(すみ)に︑この街の全体図らしい地図が掲⽰(けいじ)されている︒
時刻は⼗⼋時前後てところか︒太陽は沈(しず)み︑空の⾊が深い紫(むらさき)へと染ま ていく︒
⽇が落ちるのに従 て︑街の中には明かりが灯(とも)り始める︒だが︑電気じ ない︒松明(たいまつ)だ︒呆(あき)れるくらいにだだ 広い道路の両側に並ぶ建物に炎(ほのお)が掲(かか)げられ夜の闇(やみ)を照らし出す︒
ゆらゆら揺(ゆ)れる炎の光が︑この⻄洋⾵な世界をより幻想(げんそう)的な世界へと塗(ぬ)り替(か)えていく︒
⽬を凝(こ)らせば︑北欧(ほくおう)の⺠族⾐装のような⾐服をまとた⼥や︑重厚な鎧(よろい)姿の⼤男たち︑蠱惑(こわく)的な
⾐装の踊(おど)り⼦(こ)なんかが散⾒される︒
なんなんだ︑ここは︖
俺は確か︑隠(かく)れ家(が)にしていた廃(はい)ビルで刺(さ)されて……
こ
改めて腹を⾒るが……傷なんてどこにもない︒ただ︑地べたに寝転がていたせいでブレザが汚(よご)れているだけだ︒………………ブレザ︖
よく⾒ると︑俺は真新しいブレザを着ていた︒⼊学式の⽇に⼀度着ただけで︑⼆度と袖(そで)を通すことはなかた⾼校の制服だ︒……なんで⾼校の制服なんか着てんだ︑俺︖
⽇付を確認(かくにん)しようとポケトに⼿を⼊れるが……スマホがない︒マジか…………ん︖ポケトをまさぐる⾃分の腕(うで)に︑⾒覚えのある物を発⾒した︒
﹁……プロミスリング﹂
俺の左腕(ひだりうで)にはプロミスリングと呼ばれるアクセサリが結びつけられていた︒
こいつは⼆⼗年前の今⽇︑切れたはずのそれに間違(まちが)いない︒このプロミスリングだけは︑⾒間違
えるはずがない︒…… てことは︑俺は⾼校⽣に戻(もど)たてことか︖
肌(はだ)は⼼なしか張りがあるように⾒えるし︑アゴ周りもつるつるだ︒ヒゲがない︒
鏡があればもとはきり分かるのだろうが︑どうも俺の体は⼗六歳の頃(ころ)に戻ているようだ︒
⼆⼗歳も⼀気に若返た──そう考えて間違いないだろう︒
……なんだそれ ︖ なんだてんだよ︑⼀体…………
﹁⼗六歳……か﹂
俺の⼈⽣の分岐(ぶんき)点︒俺が︑詐欺師の道を歩み始めた年齢(ねんれい)だ︒それから⼆⼗年間︑俺は詐欺師として⽣きて︑そして殺された︒
その⼆⼗年をなかたことにされたのか……やり直せとでも⾔う気か︖
﹁あ ……そういや︑プロミスリングが切れた時に︑必死に願た けな ……﹂
﹃俺の間違いを…………やり直させてくれ……﹄
泣(な)き叫(さけ)び︑喚き散らして……最後の最後に零(こぼ)れ落ちていた⾔葉︒それが︑⼆⼗年も遅(おく)れて 今更(いまさら)叶(かな) たとでもいうのか︖
﹁……バカバカしい﹂
しうもない思考を振り払(はら)い引き続きポケトを探(さぐ)てみると︑⼗代の頃に使ていた⼆つ折りの財布(さいふ)が出てきた︒中を⾒てみると︑万札が⼀枚に千円札が⼆枚︒あと⼩銭(こぜに)がジ ラジ ラ︒締(し)めて︑⼀万⼆千五百六⼗四円︒
⼗代にしては持 ている⽅だが︑三⼗六歳の意識を持つ俺からすりし ぱい⾦額だ︒カドも⼊てねし︑どう⾒てもガキの財布だ︒……マジで⼗六歳に戻ちま たみたいだな︒
ま ︑⼀万⼆千円もあり︑宿くらいどうとでもなるか︒とにかくどこか宿を探して︑落ち着いて状況(じようきよう)を整理しよう︒
広場の掲⽰板(けいじばん)まで歩き︑そこに掲⽰されている地図を⾒上げる︒ 地図によれば︑この街は全部で四⼗⼆の区に仕切られており︑中央区を中⼼に⼆区三区と︑放射線状に区分けされているようだ︒外に⾏くほど数字は⼤きくなていく︒
この場所は三⼗区になるらしい︒の︑だが……
﹁…………なんの冗談(じようだん)だよ︑こりあ﹂
⽬の前に延びているだだ 広い⽯畳の道と︑地図に描(か)かれたこの道の幅(はば)を⾒⽐べてザと縮尺を計る︒それをもとにザクリと計算してみると……この街は東京⼆⼗三区くらいの広さがあるらしい︒
それだけの広い街を︑⾼さ30メトルに及(およ)ぶ壁でぐるりと取り囲んでいるというのだ︒
……あり得ねだろ︒どんだけ労⼒と⾦を使たんだよ︒
そもそも︑こんなバカげた規模の城郭(じようかく)都市なんか︑⽇本はもちろん︑世界を探した てそうそうあるもんじ ない︒こいつが映画のセトか何かじ ないとすれば…………いや︑でも︑そんな
ことがあるわけ……
﹁おい︑少年﹂
不意に︑背後から声をかけられて︑俺は振り返る︒
﹁先ほどから挙動が不審(し)だが……貴様︑密⼊国者ではないだろうな︖﹂
俺に声をかけてきたのは︑⾼価そうなプレトアマ を⾝に纏(まと)た︑──⿃だた︒
﹁⿃ !?﹂
﹁失敬な ︕ ⿃ではない︑私はオウム⼈族だ﹂
オウム⼈族︖
なんだそれ ︖ いくらオウムだからて流暢(りゆうちよう)にし べり過ぎだろう……お前の⾻格どうなてんだよ︖
﹁なんでしべれんだよ……つか︑⼆⾜歩⾏!? え !? ⼿が﹃⼿﹄じねか!?﹂
⽬の前に突如(とつじよ)現れた謎(なぞ)の⽣物によて︑俺の中に湧(わ)き上がていたにわかには信じがたい……出来れば信じたくない……あり得ない仮説が真実であると裏付けられてしま た︒ここは︑所謂(いわゆる)⼀つの……﹃異世界﹄てやつか︖
﹁…………あり得ねだろ︑⾊々と﹂
茫然⾃失(ぼうぜんじしつ)だ︒だてしうがねだろ︖
⽬の前に鎧を着た⿃が現れて︑ペラペラと⽇本語しべたんだぞ︖
おまけに︑⼆本の⾜で直⽴してるし︑⼿が﹃⼿﹄なのだ ︕ ⽻じ なくて︑⼈間の﹃⼿﹄なのだ︒五指があり︑⻑い槍(やり)をし かりと握(にぎ)りしめている︒
⾨のそばに同じ鎧を着た兵⼠が数⼈いることから︑こいつは⾨番なのだろう︒
働いてんのかよ︑⿃……
そばで⾒る鎧は︑コスプレ⽤の鎧とは明らかに出来が違(ちが)い︑⾒(み)栄(ば)えよりも実⽤性重視の作りだた︒⼀⽬で重厚と分かる︑本物の鎧だ︒当然︑この槍も︒ この⿃顔の兵⼠……オウム⼈族とやらは︑マジもんの異世界⼈ てわけだ︒獣⼈(じゆうじん)族︑とでも⾔えばいいのか ︖⼈⿂とかケンタウロスとか︑そういうのの仲間か︖
嫌(いや)な具合に︑⼼臓が軋(きし)みを上げる︒警戒⼼(けいかいしん)が湧き上がり︑胸を締めつける︒
あんまり友好そうに⾒えないんだよな ……⽬とか︑⼝調とか︒何より︑油断なく俺を睨(にら)みつけている視線が鋭(するど)い……完全に不審者扱(あつか)いだ︒どちが不審者だよ︑⿃︒
﹁少年よ︒貴様は何をしにこのオルブルムに来た︖﹂
オルブルム︖
ちらりと地図を⾒ると︑地図上部に﹃オルブルム﹄と書かれている︒おそらく︑この街の名前なのだろう︒
﹁⾒たところ商⼈でもなさそうだが……なんの⽬的でここまで来たのだ︖﹂
そんなもん︑こ ちが聞きてよ︒
なんで俺がこんな訳の分からん街に来たのか︒どうやてここまで来たのか︒ま たく分からな
いのだ︒
俺が答えに窮(きゆう)していると︑オウム⼈族の⽬がすと細められる︒そして︑腕を差し出された︒
もくひ カンバセ シヨン・レコド
﹁黙秘は認めんぞ︒﹃会話記録﹄の提⽰を求める﹂
﹁……かんばせし ん・れこど︖﹂
聞いたこともない名前に⼩⾸を傾(かし)げると︑突然(とつぜん)︑⿐先に槍を突(つ)きつけられた︒ 刃先(はさき)が軽く触(ふ)れただけで︑⿐頭の⽪が薄(うす)く裂(さ)けた︒
──マジもんだ !? これ︑シレになんないヤツだ︕
﹁貴様……やはり不法侵⼊(しんにゆう)か︖﹂
﹁ち︑違(ちが)う ︕んなことしてねよ︕﹂
﹁正直に答えなければ︑﹃カエル﹄にするぞ︕﹂
──カエル ︖ なに⾔てんだこいつ︖ ⾃分は⿃のくせに︒
危険な刃(やいば)を向けられた状態で噓(うそ)など吐(つ)けない︒何より︑訳の分からん状況に放り込まれた挙句にいきなりこの危機的状況で︑⼼の準備がまるで出来ていない︒
上(う)⼿(ま)い⾔(い)い逃(のが)れも︑相⼿を煙(けむ)に巻(ま)く⼝⼋丁も︑⼀切(いつさい)合切出てこない︒
ここは素直(すなお)に︑無実を訴(うつた)えるまでだ︕
﹁正直にもなにも︑気が付いたらここにいて︑俺にも何がなんだか分かんね んだよ ︕ とにかく︑不法侵⼊なんか︑断じてしてない︕﹂
俺がそう⾔た直後︑オウム⼈族の⽬が︑槍の刃先よりも鋭くなた︒⼀瞬(いつしゆん)で総⽑⽴つ︒得体
の知れない恐怖(きようふ)に全⾝が⽀配される︒体が︑硬直(こうちよく)する︒
⾝動きが取れない俺に向かて︑オウム⼈族は真直ぐに腕を伸ばし⼈差し指を突きつけた︒
そして──
﹁﹃精霊(せいれい)の審判(しんぱん)﹄ ︕﹂
──そう唱える︒
瞬間︑俺の全⾝が淡(あわ)い光に包まれる︒いや︑俺の体が発光している︒
なんだ︑これ!? なんなんだよ︑これは !?
薄暗(うすぐら)くなた広場の⽚隅(かたすみ)で︑俺だけがバカみたいに眩(まばゆ)く輝(かがや)いている︒⾃分が光ているのに⽬がくらみそうだ︒
遠巻きにこちらを⾒ている連中が何⼈もいる︒
薄暗さと︑俺の体から発せられる光が邪魔(じやま)するのとで︑野(や)次⾺(じうま)どもの顔は⾒えないが……はきりと分かる︒ヤツらは俺のこの状態を⾒て嘲笑(ちようしよう)していやがる︒罪⼈を⾒るような︑優越(ゆうえつ)に浸(ひた) て
いやがる空気がひしひしと伝わてくる︒
なんだよ︖
俺は︑﹃まだ﹄何もやてねだろうが︕﹁……ふむ︑どうやら噓ではないようだな﹂
オウム⼈族のそんな⾔葉が聞こえたのは︑体の光が光度を落とし始めた時だた︒そして︑俺の体から発せられていた謎の光は︑その後まもなく消滅(しようめつ)した︒
……なんだたんだよ︑⼀体︒
﹁噓ではない﹂て︑こいつは⾔たか ︖今ので︑俺の発⾔の真偽(しんぎ)が分かた
俺が噓を吐いていなかたから︑俺は助かた…………のか︖
もし俺が噓を吐いていたら…………どうなたてんだよ︖
﹁── !?﹂
⾔葉にならない気持ち悪さが体内から湧き上がてくる︒
寒気と吐き気が腹の底から脳天に向かて駆け抜けていた︒
──ここには︑いたくない︒
本能がそう叫んでいた︒
何より︑あの得体の知れない﹃精霊の審判﹄てやつが堪(たま)らなく恐(おそ)ろしい︒
﹁しかし︑貴様が不審であることに変わりはない︒⾝分を確認(かくにん)させてもらうぞ﹂
ふところ
てのか︖
オウム⼈族の兵⼠は︑さも当然という顔をして俺の懐に⼿を⼊れ︑そして財布を抜き取りやが
た︒
﹁あ︑おい !?﹂
⾔いようのない気持ち悪さに放⼼していたせいで︑抵抗(ていこう)するのが遅れた︒ 雑な⼿つきで俺の財布を調べ︑中⾝をばらまくオウム⼈族︒紙幣(しへい)をゴミのように地⾯へ捨てていく︒
ふざけんじねぞ︕
地⾯に落ちた紙幣を慌(あわ)てて拾う︒俺の全財産なんだ つうの︕
﹁んん ︖これは……ここだけ頑丈(がんじよう)に封(ふう)が為(な)されているな︒怪(あや)しい﹂
オウム⼈族は︑唯⼀(ゆいいつ)ボタンで留められている⼩銭⼊(こぜにい)れを⾒て眉(まゆ)を顰(ひそ)める︒そして︑ボタンを開けると︑中から五百円⽟を取り出した︒
﹁いい加減にしろよ︕﹂
怒鳴(どな)りながら︑俺は乱暴に財布(さいふ)を取り返す︒⾦を粗雑(そざつ)に扱うような﹃罰当(ばちあ)たり﹄が︑俺は⼤嫌(だいきら)いだ︒故(ゆえ)に︑少し頭に⾎が上てしま た︒
──それが︑マズかた︒
﹁その怒(いか)りよう︑慌てぶり……なるほど……おい ︕ち と来てくれ︕﹂
オウム⼈族は︑俺が取り返し損(そこ)ねた五百円⽟を⼿に︑別の兵⼠を呼びつけた︒そいつは︑⾸から上がネコ──具体的にはアビシニアンだた︒
ネコ顔の兵⼠が五百円⽟に⿐を近付けて匂(にお)いを嗅(か)ぐ︒﹁これは純銀ではありません︒銅と︑亜鉛(あえん)……あとはニ ケルが少々……これは間違(まちが)いなく︑偽造(ぎぞう)硬貨(こうか)です︕﹂
﹁は !?﹂
いや︑確かに五百円⽟はそれらで作られているが……匂いで分かるのか︒
俺が⾯⾷(めんく)らていると︑オウム⼈族が﹁やはり﹂と頷(うなず)き︑俺を睨みつける︒
﹁分かているな︒偽造硬貨の製造︑使⽤︑及び単純所持はそれだけで極刑(きよつけい)だぞ﹂
オウム⼈族の瞳(ひとみ)が俺を捉(とら)える︒……こいつ︑マジだ︒
極刑 ︖ふざけんじねぞ︒
﹁ち と待てよ ︕それは俺の国の硬貨だ︑偽造硬貨じ ない︕﹂
﹁なんという国だ︖﹂
⽇本──と︑⾔て通じるのか ︖明らかに俺のいた世界とは別のこの場所で……
﹁……⾔えぬのか ︖やはり……噓か﹂
オウム⼈族が腕(うで)を真直ぐ伸ばして俺を指さす︒
また﹃精霊の審判﹄か!? 冗談(じようだん)じ ね ぞ ︕ あんな気味の悪いもん︑⼆度もくら て堪るか
俺はオウム⼈族に背を向け⾛り出す︒
﹁あ !? 待て︑貴様 ︕皆(みな)の者 ︕罪⼈だ ︕罪⼈が逃(に)げたぞ ︕﹂ オウム⼈族が⾸に下げた笛を⾼らかに吹(ふ)き鳴(な)らした︒すると︑⾨の脇(わき)にある建物から鎧(よろい)を着た兵⼠がわらわらと姿を現した︒ネコやイヌ……どいつもこいつもオウム⼈族みたいに獣の顔に⼈間の体をしている︒
獣⼈族の群れ……冗談じねぞ︕
サと辺りを⾒渡(みわた)すと︑⼤通りや⻄側に延びる道とは対照的に︑東の⽅⾓にはほとんど⼈がいなかた︒遠くに森のような⽊々が⾒える︒逃げるなら︑東だな︒
﹁くそ ︕こんな訳の分かんね 街で︑訳の分かんね連中に捕(つか)ま て堪るか︕﹂
俺は全速⼒で駆け出した︒
⾁体が若返ていてくれたことに︑今は感謝したい気分だ︒思たよりも体が動く︒
﹁待て︑貴様 ︕﹂
オウム⼈族の声が遠い︒鎧分のアドバンテジがこちらにはあるのだ︒このまま引(ひ)き離(はな)して…… と︑振(ふ)り返(かえ)て後悔(こうかい)した︒
﹁﹁﹁待て え ︕﹂﹂﹂
兵⼠がめち増えてる !? 総⼒戦かよ!?
俺は︑持てる⼒のすべてを脚⼒(きやくりよく)に注ぎ込み︑懸命(けんめい)に謎(なぞ)の街を駆け抜けた︒
通り過ぎる景⾊は⻄洋⾵な︑それも少し古めかしい雰囲(ふんい)気(き)の建物ばかりで︑俺にとて馴(な)染(じ)みのある街の⾵景とは⼤きくかけ離れていた︒
何より電灯をはじめ︑電化製品が⼀切ない薄暗い街並みは︑俺の⼼を刻⼀刻と摩耗(も)させ⼼細くさせていた︒
すれ違う⼈が驚(おどろ)いて振り返る︒その顔が⼭(や)⽺(ぎ)だたり狐(きつね)だたりして……︒たまに普通(ふつう)の︑⼈間ぽい顔をした美少⼥がいたと思たら︑頭頂部ににきと獣の⽿が⽣えていたりした︒
もう︑﹁あり得ない﹂なんて⾔ていられない︒⽬を背(そむ)けることは不可能︒
間違いなく︑疑う余地もなく︑ここは異世界なのだ︒それも︑俺の知 ている常識が根底から覆(くつがえ)されるような︑物理法則がねじ曲が てこんがらが て︑逆にバランスが保たれているような︑そんな世界なのだ︒
そんな世界に放り込まれた俺は︑⾝体(しんたい)能⼒が⾶躍(ひやく)的に上昇(じようしよう)することもなく︑神の奇跡(きせき)みたいな特殊(とくしゆ)能⼒を得ることもなく︑ただただ⼀般(いつぱん)⾼校⽣並みの体⼒で懸命に逃げ回た︒
そして気が付けば︑⾜元の地⾯は⽯畳(いしだたみ)から剝(む)き出しの⼟へと変わていた︒
建物もなくなり︑⽊々が増え︑眼前に森が迫(せま)る︒しめた︒あの中に逃げ込めば……
俺は︑迫りくる兵⼠どもを撒(ま)くために︑森の中へと突⼊(とつにゆう)する︒
﹁これで︑逃げきれ……………… !?﹂ それ以上︑⾔葉を発することは出来なか
⾜元から︑地⾯の感触(かんしよく)が消失した︒
﹁…………噓だろ︖﹂
た︒ 森に⼊て数百メトル進んだ先は︑崖(がけ)になていた︒それも︑ロククライマが⼤喜びして
⾶びつきそうな絶壁(ぜつぺき)︒絶崖(ぜつがい)︒垂直と⾔ても過⾔ではない︑切り⽴ち過ぎた崖︒
そこへ︑俺は⾶び込んでしま たのだ︒──故に︑落ちる︒
﹁……マジでか あああああああああ !?﹂
暮れていく空へ︑俺の絶叫(ぜつきよう)が尾(お)を引いて消えていた︒
⼀度助けておいて︑すぐに殺しにかかるとか……﹃神様﹄てのはお茶⽬(ちやめ)なのか ︖それとも︑とことん底意地が悪いのか︖
落ちながら感じた感覚を信じるならば︑その崖は20メトル超(ちよう)というとんでもないものだた︒ そんなことを︑今現在悠⻑(ゆうちよう)に考えていられるのは︑落下した場所が⽔深の深い沼(ぬま)だ たからだ︒ヌルヌルの泥(どろ)がクシ ンの代わりになてくれたようで︑⼤事には⾄らなかた︒幸いにも
怪(け)我(が)もないようだ︒ただ…………めち怖(こわ)かたけどね︕
もとも︑服はドロドロになちま たがな︒
﹁…………怖︑かた……﹂
こんな⽣臭(なまぐさ)い沼なんか︑ささと出ていきたいのだが︑⾜が震(ふる)えて⽴ち上がれないのだ︒
仕⽅ないので︑背泳ぎの要領でしばしの間沼で浮遊感(ふゆうかん)を味わている︒ いくら屈強(くつきよう)な兵⼠といえど︑さすがにこの切り⽴た崖を降りてはこられないだろう︒……なんとか撒いたようだ︒結果オライ……か︖
﹁あ ……確実に明後⽇(あさつて)筋⾁痛だな…………あ︑若いから明⽇(あした)来るのかも……﹂
﹃⾒た⽬は若⼈(わこうど)︑中⾝はオサン﹄を地で⾏く存在になちま たんだよな︑俺は︒だからて︑⼗六歳の体じ︑⼥湯に⼊れるわけでもないし︑何かにつけてちやほやされる年齢(ねんれい)でもない︒実に微妙(びみよう)だ︒
天を仰(あお)いでも︑空は⾒えなかた︒
鬱蒼(うつそう)と⽣(お)い茂(しげ)る⽊々の枝葉が空を覆(おお)い隠(かく)している︒まるで︑外界から隔離(かくり)するように︒ここにいる者をこの場所に閉じ込めるように︒
……いかん︒体が若返たせいか︑妙(みよう)にセンチメンタルになている︒孤独(こどく)には慣れているし︑⼀⼈でなんだて出来るはずだ︒不安に思うことなど何もない︒ここがどんな世界であれ︑俺なら上(う)⼿(ま)く⽴ち回れる︒
⾔葉さえ通じれば︑どうにだ てなる︒いや︑﹃どうにでも出来る﹄──詐欺師はどこまでも図太いもんだ︒とはいえ︒
﹁﹃精霊(せいれい)の審判(しんぱん)﹄……か﹂
思い出しただけで背筋が震えた︒
もし噓(うそ)を吐(つ)いていたら…………カエルになる︖
とにかく謎が多過ぎるな︑この街は︒少し情報を集める必要がありそうだ︒
噓を吐くとカエルにされる──噓が吐けない街︑か︒
なんとも詐欺師泣かせな街だ︒もとも︑そんなことくらいで怯(ひる)む俺じね けどな︒
﹁よし︕﹂
気合いを⼊れて体を起こす︒
とにかく飯だ︒腹が減ていると考えがまとまらない︒どこかで何かを⾷て︑それから後のこ
とを考えよう︒
当⾯の⽬的を⾒つけたことで︑俺の体に⼒が戻(もど)る︒時は⾦なり︒⾦こそ正義︒
やることが決ま たなら︑時間を無駄にする理由はない︒
油断するとどんどんとのみ込まれていく沼を︑し かりとした⾜取りで進む︒
やたらと湿気(しつけ)の多いこの場所は湿地帯のようで︑沼を出ても地⾯はぬかるんでいた︒空気の悪い
場所だ︒ここにいるだけで気分が滅⼊てくる︒
崖を背にして真直ぐ歩を進める︒そのうちこの湿地帯を抜けるだろう︒⼈がいるところに出られれば︑飯くらいなんとかなるかもしれん︒
この際︑どんなヤツでも⽂句は⾔わない︒そいつの顔がたとえ⿃であろうがトカゲであろうが︑俺に飯を提供してくれるなら誰(だれ)でもいい︒飯のためになら︑どんな奇妙(きみよう)なヤツとでも円滑(えんかつ)なコミニケシ ンをとてやるさ︒
……出来れば︑巨乳(きよにゆう)美少⼥とかだと嬉(うれ)しいんだけどな︒
なんてことを考えていると──ぬちり……と︑背後で⾳がした︒
…………何かいる︒
ゆくりと振り返ると──⼀匹(いつぴき)のカエルが⽴ていた︒沼の中から︑俺をジ と⾒つめている︒
体⻑は80センチくらいと⼩柄(こがら)で︑顔だけでなく︑全⾝が完全にカエルだ︒
しかし︑ぼろきれみたいな服を⾝に着けており︑⼆本の⾜で直⽴している︒
カエル⼈族……か︖
先に湿地帯を抜けたかたのだが……⽂句を⾔ていられる場合じ ないか︒
よくよく考えたら朝から何も⾷ていないのだ︒
空腹のまま︑刺されて︑若返て︑訳の分からん世界に放り込まれて︑追いかけ回されて︑崖からダイブ…………ろくでもない⼀⽇だな︒厄⽇(やくび)か︖
そんなわけで腹ペコだ︒空腹を⾃覚した途端(た)⼀層腹が減てきた︒
もうこいつでいい︒こいつに何か⾷いものをもらう︒くれなき奪(うば)う︒もう決めたのだ︒男に⼆
⾔はない︒
最初は︑ま ︑軽く挨拶(あいさつ)でも交(か)わして警戒⼼(けいかいしん)を解いてやらないとな︒
﹁や︑や︒はじめまして……はは︑あははは﹂
笑顔(えがお)を⼼がけるも︑どうしても引(ひ)き攣(つ) てしまう︒
するとカエルは︑俺に向かて繊細(せんさい)さに⽋ける⼤雑把(おおざつぱ)な動きで⼤きな⼝を開いた︒
﹁ケロケロ︕﹂
﹁しべれねのかよ!?﹂
なにこの街!? オウムはしべるのに︑カエルはしべらないの ︖その線引きが分からん︒
ま いい︒カエルの⽣態になど興味はない︒⾔葉が通じないなら︑話すだけ無駄だ︒
無駄と浪費(ろうひ)が何よりも嫌(きら)いな俺は︑無益なコミニケシ ンをささと放棄(ほうき)してこの湿地帯を
抜けることにした︒
その間も︑カエルはジ と俺を⾒つめていた︒……なんなんだよ︑気持ち悪(わり)な︒無視を決め込み︑進⾏⽅向へと振り返て…………俺は硬直(こうちよく)した︒
カエルが……⼤量にいる︒
遠巻きに︑俺を取り囲むように数百匹のカエルが⽴ており︑そいつらが全員︑こちらをジ と
⾒つめていたのだ︒
﹁ぎ︑…………ぎ あああ︕﹂
俺は絶叫しながら︑我武者羅(がむしやら)に湿地帯を駆(か)け抜けた︒
⽴ち⽌まればカエルに追いつかれる︒そんな気がして︑脇⽬(わきめ)も振らずに⾜を動かし続けた︒空を覆う⽊々に切れ間が⾒え始め︑視界が徐々(じよじよ)に開けていく︒湿地帯が終わる︒ 湿地帯を抜けると︑空はもうとぷり暮れていた︒真暗だ︒三⼗区にあたような松明(たいまつ)すら⾒当たらない︒星も出ておらず︑光がどこにもない︒
⽬の前に広がるのは闇(やみ)︒ただ︑おぼろげながら輪郭(りんかく)が⾒える︒道︑岩︑⽊……それらの薄(うす)ぼんや
りとした輪郭を頼(たよ)りに︑暗がりの中をひたすら⾛る︒
湿地帯を抜けてもなお︑カエルどもの視線が俺を⾒つめているようで⿃肌(とりはだ)が治まらない︒
﹃飯のためになら︑どんな奇妙なヤツとでも円滑なコミニケシ ンをとてやる﹄︖
﹃男に⼆⾔はない﹄︖
うさい ︕知るかボケ︕
あんな気持ちの悪い連中は論外だ︕
全速⼒で逃(に)げる途中(とちゆう)︑幅(はば)の広い川に⾏き当た た︒流れは穏(おだ)やかそうだが︑如何(いかん)せん暗い︒⽔深も分からん︒
か
だが︑迂回するような時間はない︑つか︑⼼にゆとりがない︒カエルが︑今にも追 てきそうなのだ︒
﹁えい︑構うか ︕⾶び込め ︕ 汚(よご)れた服も綺麗(きれい)になて⼀⽯⼆⿃だ︕﹂
闇とカエルの恐怖(きようふ)から︑俺は迷わず川へ⾶び込み︑懸命(けんめい)に泳いだ︒川底は思 ていたよりも割と深く︑何度か溺(おぼ)れそうになた︒それでももがき︑あがいて︑なんとか川から這(は)い出した︒そし
て︑休む暇(ひま)もなく再び⾛り出す︒
それからひたすら︑俺は⾛りに⾛ て︑ふと︑空腹であることを思い出した︒
そこで俺の体⼒は尽きた︒
舗装(ほそう)もされていない︑⼟が剝き出しの道に倒(たお)れ込む︒もうダメだ︒もう⼀歩も動けない︒
⾒上げた空には︑九割近くが⽋けた頼りない⽉が浮かんでいた︒
⽉にすら⾒捨てられた気分だ︒……あ︑最悪︒なんだよ︑この世界︒
美⼈はいないし︑巨乳もいない︒騙(だま)しやすそうなお⼈好(ひとよ)しすら⾒当たらない︒
⼈を騙すことでしか糊⼝(ここう)を凌(しの)げない俺みたいな男が︑唯⼀(ゆいいつ)の武器である噓を封(ふう)じられたら……⼈
⽣終了(しゆうりよう)のお知らせだな︒
﹁…………ん︖﹂
疲(つか)れ果てて︑もうピクリとも動けないと思ていたのだが︑思わず体を起こしていた︒そしてアゴを持ち上げて⿐を鳴らす︒微(かす)かにだが︑どこからかいい匂(にお)いが漂(ただよ)てくる︒
これは…………なんだか懐(なつ)かしい⾹(かお)りだ︒
⼦供の頃(ころ)︑暗くなるまで遊び回て家に帰ると︑台所の窓から⽞関(げんかん)の外にまで漂てきていた⼣飯の匂い︒そんなものを思い出させるような︑優(やさ)しくて温かい匂いだ︒闇に怯(おび)え孤独に磨(す)り減らされた⼼が︑じんわりするような……堪(たま)らない気持ちになてくる︒
俺は最後の⼒を振(ふ)り絞(しぼ)て⽴ち上がり︑匂いのする⽅向へ⾜を動かした︒
たどり着いたのは︑⼀軒(いつけん)のボロい建物だた︒
ドアは閉ま ているが︑建て付けが悪いのか隙間(すきま)が空いており︑中から光が漏(も)れている︒
⽊製のドアの横︑頭より少し⾼い位置にブリキの看板がぶら下が ている︒その鉄板の中央に
は︑ナイフとフ クの形にくり貫きがされてあた︒
ここは……⾷堂か︖
ぐ と︑腹が鳴る︒店内から堪らん⾹りが漂 てくるのだから仕⽅がないだろう︒胃袋(いぶくろ)が刺激(しげき)
されて︑今にも暴れ出しそうだ︒⾷わずにはいられないよな︑こんな匂いを嗅がされたら…………
しかし︑⾦がない︒
俺の持 ているのは⽇本円だけだ︒この街で使える⾦は持 ていない︒だからといて諦(あきら)められる状況(じようきよう)ではない︒
なら︑どうする︖
ふと︑俺の脳裏(のうり)に天使と悪魔(あくま)が浮かび上がり︑そいつらが各々(おのおの)俺に向か
て囁(ささや)きかける︒﹁﹁これはもう︑⾷い逃げするしかないよな﹂﹂
……まさか︑ユニゾンとは︒良い性格をしているぜ︒さすが俺の分⾝だ︒
しかしながら︑満場⼀致(まんじよういつち)なら仕⽅ない︒
は
俺は多数決という模範的な⺠主主義に従 て︑⾷堂のドアを押し開けた︒
﹁…………誰もいないな﹂
店内は︑異様なまでに薄暗(うすぐら)かた︒油代をケチているのか︑店内の明かりは数本のろうそくだけだ︒
店内へ⾜を踏(ふ)み⼊れると︑ギシ と床(ゆか)が悲鳴を上げる︒……なんだここは ︖ち とボロ過ぎるだろう︒お化け屋敷(やしき)の中でご飯が⾷べられる的な店か︖
机は⽳だらけ︑椅(い)⼦(す)はガタガタ︒床は当然のように軋(きし)むし︑おまけにべたべたしている︒
⼊り⼝を⼊て右⼿にカウンタ があり︑奥に部屋が続いているようだ︒おそらく厨房(ちゆうぼう)があるのだろう︒
﹁誰かいないのか︖﹂
店の奥へ向かて声をかけると︑奥から⼀⼈の少⼥が顔を出したのだが──
﹁あ ︕すみませんでした︒お待たせしてしまいましたか︖﹂ ──それは︑息をのむような美少⼥だた︒
くり とした⼤きな瞳(ひとみ)に︑果実のように瑞々(みずみず)しい桜⾊の唇(くちびる)︒ゆるく弧(こ)を描(えが)く頰(ほお)は真綿のように⽩く柔(やわ)らかそうで︑肩⼝(かたぐち)で⼀つにまとめられた髪(かみ)の⽑(け)はふわとしていて︑触(さわ)り⼼地(ごこち)のよさそうな
印象を与(あた)える︒
少しやせ過ぎている感はあるが︑⼩柄な体の割に⼿⾜はすらと⻑く均整がとれている︒
しかし︑それらの好要素をすべて瑣末(さまつ)なことと思わせるような最強のウ ポンがその胸元(むなもと)に備わ
ていた︒
パイオツ︑カイデ︕
なにこの巨乳(きよにゆう)!? 体の栄養全部そこに⾏ち たんじ ないの!?
フリルのあしらわれた︑全体的にひらひらふわふわした可愛らしい⾐服を纏(まと)う店員は︑そのお
とりした表情も相ま て︑⼈畜無害を全⾝でアピルしているようだ︒だがしかし︑ただ⼀点︑⼩柄な体軀(たいく)とは不(ふ)釣(つ)り合(あ)いな⼤きな膨(ふく)らみが⾃然(しぜん)の摂理(せつり)へ謀反(むほん)を起こすかの如(ごと)くこれでもかと⾐服を
押し上げ﹃我︑ここにあり︕﹄と凄(すさ)まじい⾃⼰主張をしている︒
﹁パイオツ︑カイデ﹂
思わず声に出してしま た俺を︑誰(だれ)が責められようか︒ 思えば︑復讐(ふくしゆう)のために⽣きた⼆⼗年︒……おまけにそれまでの⼗六年もだが……⼥ 気のない⼈⽣だた︒こんな巨乳⾒たことないし︑こんな巨乳と話したこともない︒挟(はさ)ま たこともなければ押し当てられたこともない︕
何を隠(かく)そう……これは誰にも⾔ていないし︑普段(ふだん)は悟(さと)られないように気を付けていることなのだが……俺は巨乳が⼤好きなのだ ︕
なんだよ︑いるじ ん ︕美⼈で巨乳で騙しやすそうなお⼈好し天然系︕
俺の求めていたものをすべて集約したような美少⼥がそこにいた︒
異世界て︑すげな︒これぞ異世界︒ザ・異世界︕
﹁あの︑お客さん︒その︑﹃ぱいおつかいで﹄てなんですか︖﹂
﹁う !?﹂
思わず漏らした⼼の声に︑巨乳店員が⾷いついてしま た︒
迂闊(か)なことをした︒
本⼈に向かて︑﹃君のおぱい⼤きいねてことさ﹄なんて⾔えるはずがない ︕いくら爽(さわ)やかに⾔たところで変態だ︒いや︑爽やかに⾔えば尚更(なおさら)変態だ︒
なんとか誤魔化さなければ……
﹁え と…それはその︑あ︑あれだ︑﹃笑顔(えがお)が素敵(すてき)﹄てことだよ︑うん︕﹂
﹁わ︑そうなんですか﹂
店員は⼿を合わせ⼝元に添(そ)えると︑嬉(うれ)しそうに微笑(ほほえ)んだ︒
ふふん︒思た通り︑この店員は単純ちんだ︒実に騙しやす︑い………… て︑しま た!? 思わず噓(うそ)を吐(つ)いてしま た︕
﹃噓吐きはカエルになる﹄──そんな⾔葉が脳裏によみがえる︒ カエル……あの︑湿地(しつち)帯で⾒たアイツらか…………巨乳に巨乳と⾔えなかたばかりに︑俺は裁きを受けるのか!? イヤだ ︕あんな姿になりたくない︕
﹁く …………………………………………………………………………ん︖﹂
しかし︑噓を吐いてから数分が経過しても︑俺の体にはなんの変化も現れなかた︒
……あれ ︖ なんでだ︖
窺(うかが)うように︑店員へと視線を向ける︒
﹁どうかされましたか︖﹂
﹁あ……いや﹂
﹃今︑俺は噓を吐いたのになぜカエルにならないんだ︖﹄とは︑聞けないよな︒
だが︑ようやく会えたまともな⼈間だ︒ここは︑少しでも情報を引き出しておきたいところだな︒……よし︒
﹁この街に来てから︑初めて⼈間の顔をしたヤツと会話をするもんでな︒ここに来るまではオウムとかネコとか︑そういう獣⼈(じゆうじん)族ばかりだたんだ﹂
﹁そうなんですか︒﹃獣⼈族﹄という名称(めいしよう)は初めて聞きましたが……確かに︑ここ四⼗⼆区にはたくさんいらしいますね﹂
いや︑ここに限
のか︒
たことじ なく︑三⼗区にもいぱいいたんだが……つか︑ここは四⼗⼆区な 地図を思い出してみると……数字の⼩さい区が中央に集まり︑外周は三⼗区から始ま ていた︒時計回りに三⼗⼀区︑三⼗⼆区とどんどん数字が⼤きくなていき︑最後が四⼗⼆区だ︒その位置
は︑ぐると⼀周回て三⼗区の東側に位置していた︒
この四⼗⼆区は︑三⼗区の東側にある崖(がけ)の下に位置しているのだ︒
なんとも陰気(いんき)な⽴地だな︒
﹁しかし︑獣⼈族に⾔葉が通じるてのには驚(おどろ)いたよ︒獣の顔で器⽤にしべりやがる﹂
﹁外からおいでになたのでしたら︑そうかもしれませんね﹂
店員は納得(なつとく)した様⼦を⾒せた後︑祈(いの)るように胸の前で⼿を組んだ︒
﹁このオルブルムは︑精霊神(せいれいしん)様のご加護によて発展したと⾔われています﹂
﹁精霊神︖﹂
﹁はい︒精霊教会が崇(あが)める唯⼀(ゆいいつ)無⼆の⼥神(めがみ)・アルヴ様です﹂
その精霊神とやらと︑獣⼈族に⾔葉が通じることと︑何か関係があるのだろうか︒まさか︑神の奇跡(きせき)によて⾔葉が通じる……なんて⾔わねよな︖
﹁精霊神様のお⼒によて︑この街ではすべての⼈種間で会話や意思の疎通(そつう)が可能なんです﹂
⾔ち たよ……
そんな魔法(まほう)みたいなもんが…… ﹁﹃強制翻訳(ほんやく)魔法﹄という魔法が︑この街にはかけられているんです﹂
…………魔法︑だと︖
﹃強制翻訳魔法﹄……字⾯(じづら)だけで︑なんとなく意味が分かりそうな名前だが……マジで魔法なんてものが存在するのか………………あ︒そうか︒
俺の背筋は粟⽴(あわだ)ち︑嫌(いや)な記憶(きおく)が呼び起こされる︒
﹃精霊の審判(しんぱん)﹄︒アレが魔法の⼀種だてんなら︑納得してしまうかもしれん︒魔法……魔法か︒いよいよフンタジだな︑この世界は︒
ほか カンバセ シヨン・レコド
﹁精霊神様の魔法は︑﹃強制翻訳魔法﹄の他に︑﹃精霊の審判﹄そして﹃会話記録﹄があります﹂
カンバセ シヨン・レコド
﹃会話記録﹄!? そいつは聞き覚えのある名前だた︒
オウム⼈族が提⽰しろと⾔たものだ︒それが⼀体どんなものなのかを知ておけば︑今後役に
⽴つかもしれん︒
カンバセ シヨン・レコド
﹁﹃会話記録﹄には︑これまで⾏ てきたすべての会話が⾃動で記録されていきます︒そして︑それらの会話を参照することも可能なんです﹂
﹁どうやて⾒るんだ︖﹂
カンバセ シヨン・レコド
﹁﹃会話記録﹄と︑唱えればご覧になれますよ﹂
唱える ︖ …… て︑こうか︖
カンバセ シヨン・レコド
﹁﹃会話記録﹄﹂
⼿を前に突(つ)き出(だ)して唱えると︑突然(とつぜん)︑⽬の前に半透明(はんとうめい)のパネルが出現した︒
何もないところに︑テレビが点くような感じで画像が浮かび上がる︒指を近付けると触ることが出来た︒タ チパネルみたいな感触(かんしよく)だ︒あ︑スクロル出来る︒
出現した半透明のパネルは︑どういう原理かは分からんが俺の⽬の前に浮かんで静⽌している︒……これも︑精霊神アルヴ様とやらの御⼒(おちから)によるものか︖
適当にスクロルしていくと︑最初の⽅に俺とオウム⼈族が交わした会話が⽂字となて記録されていた︒いつの間にこんなものが……
カンバセ シヨン・レコド
﹁﹃強制翻訳魔法﹄と﹃会話記録﹄は︑この街にいる間︑ずと有効になります﹂
ということは︑この街に来る以前の︑⽇本での会話は記録されていないということか︒
﹁改ざんや誤魔化しは出来ません︒これらの魔法によ て︑この街では噓が吐けなくな ています︒精霊神様は︑何よりも﹃噓﹄がお嫌(きら)いなんです﹂
いや︒噓吐(うそつ)いたけどな︒ついさき︒
ここまでの話を総合し︑そして俺の推論を交えて考察するに……
この街の中ではすべての⾔葉が相⼿に伝わるように翻訳され︑そしてそれらはすべて記録される︒噓や誤魔化しが出来ないように︒または︑噓を吐いたところで︑すぐに真実が明らかになるよ
うに︒
そしておそらく︑噓が発覚した際に﹃精霊の審判﹄を使うのだ︒
そうすれば︑相⼿はカエルに…………
﹁それ以外にも︑⾊々と便利な機能がついているんですよ﹂
﹁例えば︖﹂
﹁…………え と︑ですね…………え と……﹂
さては︑こいつ︒使いこなせてないな ︖電化製品とか︑弱いタイプだろ︖
﹁あ︑そうです ︕異国の通貨との価値が⽐べられるそうです︒以前︑そんな話を聞きました﹂なんとかひねり出した答えを⼝にして︑ホと安堵(あんど)の表情を⾒せる︒
……こいつから情報を引き出すのは︑ち と難しいかもしれないな︒こいつ︑アホの娘だから︒情報の正確性に問題があるかもしれない︒
﹁じ あ︑とりあえず︒⽇本円とこの街の通貨のレトを教えてくれ﹂
カンバセ シヨン・レコド
﹃会話記録﹄を呼び出した時のように︑⼝に出して⾔てみる︒
カンバセ シヨン・レコド
すると︑﹃会話記録﹄に表⽰されていた⽂字が変化した︒
パネルに映し出された⽂字を読んでみると── ⼀般市⺠が常⾷⽤としている⼩⻨のパンが平均的な価格で20Rb
──と︑表⽰されている︒
なんだよ︒⽇本円にもきちんと価値はあるんじねか︒もとも︑交換(こうかん)してくれるところがあるとは思えないし︑使うことは出来そうもないが……でも︑価値が無くなていないと分かたのは嬉しいことだ︒
カンバセ シヨン・レコド
しかし︑﹃会話記録﹄か……なんとも分かりやすくて便利な魔法だな︒
﹁便利なもんだ﹂
カンバセ シヨン・レコド
﹁はい︒﹃会話記録﹄は⽇々学習すると⾔います︒不便を感じても︑やがてその不便は解消されるんです﹂
魔法が︑学習……ね︒
疑うわけではないが︑つい視線は店員の⽬へと向いてしまう︒噓を吐いているかどうかは︑⽬を
⾒れば分かるからな︒……純粋(じゆんすい)な⽬をしやがて︒
この世の中のすべてを︑わたしは信じています︒──みたいな⽬だな︑あれは︒
俺と⽬が合うと︑店員はぺこりと頭を下げる︒
そして︑顔を上げるとにこ と笑みを作て︑嬉しそうにこんなことを⾔た︒
﹁パイオツ︕﹂
﹁ぶふ ︕﹂
なに!? なに⾔てんの︑この娘!? しかもす げ満⾯の笑みで!?
﹁このように︑覚えた⾔葉は的確に使⽤出来るようになるんです﹂いや︑全然的確に使えてないけどな︒
﹁うふふ︒どうでしうか ︖わたしのパイオツは︑カイデですか︖﹂
﹁……いや︑ま ﹂
思わず視線が下がる︒
確かにこいつのパイオツはカイデだ︒あまりにもカイデだ︒ち と⽐較(ひかく)対象が⾒つからないレベルでカイデなのだが……
﹁わたしのパイオツを褒めてくださてありがとうございます︕﹂
…………お︑お︒どう︑いたしまして︒
さき俺は︑﹃パイオツカイデ﹄を﹃笑顔(えがお)が素敵(すてき)﹄と教えたわけだが……どうやらこいつは︑
﹃パイオツ﹄を﹃笑顔﹄︑﹃カイデ﹄を﹃素敵﹄と解釈(かいしやく)したらしい︒
﹁これからも︑パイオツカイデで頑張(がんば)ります︕﹂
﹁う︑うん︒あんまり︑そういうことは⾔わない⽅がいいと思うぞ﹂
﹁あ︑そうですね︒⾃分で⾔うことではないですよね︒では︑お客さんに﹃パイオツカイデだね﹄と⾔われるように頑張ります︕﹂﹁うん︑そういう客はあまり相⼿にしない⽅がいいかもしれないな﹂
﹁え ︖でも︑さき⾔てくださいましたよね︖﹂
﹁うん︑ごめん︒ホントごめん﹂
本当のことは︑もう永遠に⾔えないだろう︒
この娘の⼈⽣に︑⼤きな傷を付けてしま た気分だ︒
……とはいえ︑﹃強制翻訳魔法﹄があるにもかかわらず︑翻訳されない⾔葉があるてのは発⾒だな︒共通の⾔葉がないものは翻訳されないのかもしれない︒﹃パイオツ﹄が﹃おぱい﹄と翻訳されないなら︑﹃チベリバ﹄や﹃おあいそ﹄みたいな特殊(とくしゆ)な⾔葉も正しく翻訳されない可能性が
⾼い︒ま ︑現段階では判断が難しいけどな︒
……と︑そんなことを考えていると︑腹が﹁くぎ ……﹂と鳴いた︒
﹁あ ︕申し訳ありません︒⻑話をしてしまいまして﹂
慌(あわ)てて頭を下げる店員だが︑話を振(ふ)たのは俺の⽅だ︒謝る⽅が逆だろう︒……ま︑絶対謝らないけど︒
﹁それよりも︑まだ店はやているのか︖﹂
﹁はい︒⼤丈夫(だいじようぶ)ですよ︒……あ︑そうでした︕﹂
こほんと咳払(せきばら)いをした後で︑店員はスカトを払い︑襟(えり)を正して︑背筋を真(ま)直(す)ぐに伸(の)ばした︒そして︑ぺこりと可愛(かわい)らしく頭を下げる︒
﹁いらしいませ ︕ようこそ︑陽(ひ)だまり亭(てい)へ︕﹂そう⾔て︑満⾯の笑みを浮かべる︒
挨拶(あいさつ)のタイミング︑遅 !?
しかも︑﹃陽だまり亭﹄て…………名前負けもいいとこだな︒
﹁こんな時間に︑悪いな﹂
﹁いいえ︒材料もたくさん余 ていますし︑問題ないですよ﹂
材料︑たくさん余 てるんだ…………だろうな︒この店じ あな︒
﹁それでは︑さそく準備をいたしますね︒お好きなお席でお待ちください﹂
そう⾔て店員は再びカウンタの奥へと⼊ていた︒
他の店員が⾒当たらないところを⾒ると︑この広い店をあいつが⼀⼈で切り盛りしているよう
だ︒抜けてそうに⾒えて実はし かり者なのかもしれないな︒……いや︑ないな︒
﹁好きなお席︑つてもな ……﹂
⾒渡(みわた)す限(かぎ)り︑どの席もボロボロだ︒俺は店内で⼀番脚(あし)がし かりしていそうな椅(い)⼦(す)を選び︑腰(こし)を
掛ける︒…………え ん︑グラグラするよ ……⼀番まともなのでこれかよ︒
俺が椅⼦をガタガタさせていると︑カウンタの奥から﹁ジ ︕﹂という⼩気味よい⾳が聞こえてきた︒やはり︑あの奥が厨房(ちゆうぼう)なのだろう︒
カンカンと︑⾦属がぶつかる⾳が聞こえてくる︒フライパンとお⽟があるのだろうか︒だとすれば︑料理の技術は割と進んでいることになる︒調理器具の進化は︑⾷⽂化の進化に追従するものだからな︒
腰を落ち着け︑もう⼀度店内を⾒渡す︒
古いながらも綺麗(きれい)に掃除(そうじ)されている︒床(ゆか)のべたつきは︑もうこびりついてしま ているのだろう︒壁(かべ)のシミや天井(てんじよう)の傷(いた)みが︑この⾷堂の歴史を物語ている︒
⻑い間⼤切に使われてきたのだとよく分かる︒
……なんとなく︑親⽅の⼯場を思い出した︒
まだ幼い頃(ころ)に実の両親を事故で亡(な)くした俺を引き取てくれた伯(お)⽗夫婦(じふうふ)︒俺にとての﹃両親﹄とはこの⼆⼈のことを指す︒⼩さな⼯場を経営していた伯⽗のことを︑俺は﹃親⽅﹄と呼び︑料理上⼿で⾯倒⾒(めんどうみ)のいい伯(お)⺟(ば)のことを﹃⼥将(おかみ)さん﹄と呼んでいた︒
⾦なんかなくても幸せそうで︑本当によく笑う⼈たちだた︒倹約(けんやく)家とケチの境界線上にいるような夫婦で︑とにかく物を⼤切にしていた︒
ささと買い換(か)えればいいような物も︑﹁体に馴(な)染(じ)んでる物の⽅がいいんだよ﹂と︑ぶ壊(こわ)れるまで使い続けたり︑普通(ふつう)は捨てるのであろう野菜のヘタや根こや⽪まで使て美(う)味(ま)い料理を作り上げたり……………………いかん︒なんだかセンチメンタルな気分になている︒この料理の匂(にお)い
のせいかな︒⼥将さんの作てくれた⼣⾷に似た︑この匂いが昔の記憶(お)をくすぐているのかもし
れない︒
昔のことなんか思い出してもいいことなんかない︒
それよりも今は︑今夜の寝床(ねどこ)をどうするか……と︑ここの⽀払(しはら)いをどうするかを考えなくては︒……やぱ︑ここの⽀払いはアレしかないな︒全⼒ダシ︒
ま ︑あの店員︑ドンクサそうだたし︑逃げきれるだろう︒
﹁お客さん﹂﹁ お !?﹂
⾷い逃げの算段を考えている時に声をかけられ︑俺の⼼臓が少し跳ねた︒
顔を上げると︑⽬の前に店員が⽴ていた︒
﹁な︑なんだ︖﹂
速まる⼼臓を気合いで鎮(しず)め︑平静を装て返事をする︒すると︑店員は満⾯の笑みでこんなことを聞いてきた︒
﹁ご注⽂はお決まりですか︖﹂
﹁…………は︖﹂
﹁あちらにメニ がありますので︑その中からお選びください﹂
﹁いや︑お前……もう何か作り始めてるよな︖﹂
﹁はい︑うかり︒それで︑もうすぐ完成というところで注⽂を聞いていないことを思い出しまして﹂
あ ……この娘︑やぱりアホの娘なんだ︒
﹁…………じ あ︑その完成間近のものでいい︒それにしてくれ﹂
﹁いいんですか︖﹂
﹁かまわん︒⾷いもんを無駄にするのは⼼苦しいしな﹂
……親⽅と⼥将さんのことを思い出したせいだろう︒そんなことをつい⾔てしま
た︒
﹁お客さんは︑とても優(やさ)しい⽅なんですね﹂
……は ︖これから⾷い逃げしようて俺が︑優しい︖
はは︑笑てしまうな︒ま たく︑世間知らずなヤツだ︒
﹁それでは︑もうしばらくお待ちください﹂
ゆくりと頭を下げ︑店員は厨房へ戻(もど)ていた︒壁に視線を向けると︑店員が⾔
ニ が貼られていた︒
た通り︑メ
ネミングセンスが⽋⽚(かけら)もないな︒なぜいちいち﹃クズ野菜﹄などとバカ正直に書いているのか理解に悩(なや)む︒
あと︑パンが⼀番⾼いてどういうことだよ︒おまけに⽩パンの⽂字は太い⼆本線で消されているし︒⼤⽅︑注⽂する者がいなくてメニ から外したのだろう︒値段を⾒る限り⾼級品ぽいしな︒こんな潰(つぶ)れかけの⾷堂で買うくらいならパン屋で買うよな︑普通︒
それにしても︑この店は⾊々と酷(ひど)い︒商売する気がないのかと疑いたくなる︒
客が来たことに気付かない店員もそうだが︑無いメニ を⼆本線で消したまま表⽰していることもそうだ︒残念な気持ちになるだろうが︒たとえ⾷べるつもりがなかたとしても︑﹁あ︑これ
は⾷べられないんだ﹂という︑ち と損した気分にさせられる︒
店員は可愛いんだけどな︒……ち とアホだけど︒
でもおぱい⼤きいんだよな︒……かなりアホだけど︒
と︑そんなことを考えていると︑アホの店員が⽫を持 てこちらにやて来た︒
﹁お待たせしました︒クズ野菜の炒め物です﹂
﹁な︒なんでいちいちクズ野菜なんて⾔うんだ ︖普通に野菜炒めでいいだろう︖﹂
﹁でも︑クズ野菜は嫌(いや)だというお客さんもいますので予(あらかじ)め伝えておきませんと﹂ バカ正直にもほどがある︒
少し感⼼してしまうレベルのお⼈好(ひとよ)しだ︒いや︑訂正(ていせい)︒﹃呆(あき)れるレベルの﹄だ︒
﹁さ︑召し上がてください︒お⼝に合えばいいんですが﹂
⼿を後ろで組み︑気恥ずかしそうに俺を⾒つめる店員︒……⾷うとこ⾒られるのか︑俺︖
特に気にしないようにして︑クズ野菜の炒め物を⼝へと運ぶ︒
﹁ん !? 美味い︕﹂
﹁本当ですか!? よかた﹂
クズ野菜だから⼤きさはバラバラだが︑そこが逆にいいアクセントになている︒
⼈参(にんじん)のヘタや菜葉の切れ端(ぱし)のようなものが混ざているにもかかわらず︑⽣焼けのものや⽕が通り過ぎたものもない︒⽕の通りやすさを考慮(こうりよ)して個別に炒めてある証拠(しようこ)だ︒
⾷材が悪い分︑⼿(て)間暇(まひま)をかけて美(お)味(い)しく調理する︒
⼥将さんがよくやていた︑⼼のこもた調理法だ︒
﹁それでは︑ごゆくりしていてくださいね﹂
俺の反応に満⾜したのか︑店員はぺこりと頭を下げるとカウンタの奥へと戻ていた︒
空腹も⼿伝て︑飯を⼝へ運ぶ⼿は⽌まらなかた︒懐(なつ)かしい味に︑また過去の思い出がよみがえる︒
俺が美味そうに飯を⾷う様を⾒つめる︑⼥将さんの嬉(うれ)しそうな顔が頭をよぎる︒クソ真(ま)⾯⽬(じめ)でお⼈好し︒そして︑妥協(だきよう)をしない姿勢︒
あの店員は︑俺の両親にそくりだ︒
…………だからこそ︑ムカついた︒お⼈好しなところまでそくりだ︒
あんなお⼈好しは︑きと誰(だれ)かに騙(だま)される︒
騙されたのに︑それに怒(おこ)ることすらせずに︑周りの⼈間に迷惑(めいわく)をかけまいと⾃分⼀⼈で奔⾛(ほんそう)するのだろう︒あいつはそういうタイプに違(ちが)いない︒
第⼀︑店に俺⼀⼈のこの状況(じようきよう)で︑なぜ奥へ引込む︖
⽚付けなら後でも出来るだろう︒なぜ俺が⾷い逃げをしないと思い込んでいるのか︒
これはち と︑現実を思い知らせてやる必要があるだろう︒取り返しがつかなくなる前に︒度
が過ぎたお⼈好しが︑どういう⽬に遭うか……
﹃騙されるヤツがバカなんだ﹄てことを︑⾝をもて思い知るがいい︒
……ま ︑どちにせよ⾦がないから逃げる以外に選択肢(せんたくし)はないんだけどな︒
⽬の前の⽫は空になていた︒菜葉の切れ端⼀枚残ていない︒腹も膨(ふく)れたし︑これなら⼗分⾛れるだろう︒だが︑それではダメだ︒ただ⾛ て逃げるだけじ︑あの店員は気が付かないだろう︒騙される
ことの愚(おろ)かさに︒
だから︑もと分かりやすく︑徹底(てつてい)的に騙してやる︒
信じた上で裏切られる︒その悔(くや)しさを味わうがいい︒
俺はカウンタまで歩いていき︑肘(ひじ)をかけて奥の厨房に向かて声をかけた︒
﹁店員︕﹂
﹁は い︕﹂
俺の呼びかけに︑店員はパタパタと⾜⾳をさせて厨房から出てきた︒のんきな顔をして︒
﹁すまんが︑⼿洗いはどこだ︖﹂
﹁お⼿洗いは︑店を出ていただいて︑裏に回ていただくとございます﹂
﹁……店の︑外にあるのか︖﹂﹁⾷堂の中にお⼿洗いは……﹂
なるほど︒失念していた︒
この世界では下⽔が整備されていないんだ︒つまりは汲み取り式だ︒それも︑相当原始的なものに違いない︒
確かに︑⾷堂の中にそんなもんは置けないよな︒うんうん……かえて都合がいいじねか︒﹁じ あ︑ち と借りるぞ﹂
﹁え︑あの……でも﹂
﹁⼼配しなくても︑財布(さいふ)を置いていく﹂
そう⾔て︑あらかじめ空にしておいた財布をカウンタへ載せる︒
財布を置いたことで︑俺が代⾦を⽀払わずに逃げることはないと思い込んだのだろう︒店員がホとした表情を⾒せる︒空の財布だとは知らずに︒
勝⼿に⼈の財布を開けるヤツなんかいない︒接客業なら尚更(なおさら)だ︒これで逃げる時間はいくらでも稼(かせ)げる︒
お前はそうやて俺を信⽤して……まんまと裏切られればいい︒
﹁じ︑⾏てくる﹂
──どこか︑別の区までな︒
俺はそう⾔い残して店を出た︒
念のため裏に回り︑⼀度トイレを⾒に⾏く︒……汚(きたな)い床(ゆか)に⽳があいただけの︑なんとも原始的なトイレだた︒いや︑これはトイレと呼ぶのもおこがましい︒便所か厠(かわや)といたレベルだ︒糞(くそ)捨て場でもいいくらいだ︒
悪臭(あくしゆう)を放つ便所を後にし︑俺はそのまま⾷堂を離(はな)れた︒⾜⾳をさせないように︑出来るだけ急いで……
⾷堂がすかり⾒えなくなたところで︑俺は⼀度振り返り︑あのお⼈好しの店員に向けて⼀⾔
だけ⾔てやる︒
﹁世の中にはな︑悪⼈の⽅がずと多いんだよ︒勉強になたな﹂
夜はすかり深くなり︑俺は野宿を決意する︒川でひと泳ぎしたせいですげ寒い……
どこか⾬⾵が凌(しの)げそうな場所を探して︑俺は四⼗⼆区の中をさまよい歩いた︒
